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福岡高等裁判所 昭和48年(く)28号 決定 1973年10月02日

少年 W・Y(昭三三・二・一一生)

主文

原決定を取り消す。

本件を福岡家庭裁判所飯塚支部に差し戻す。

理由

本件抗告申立の理由は、抗告申立理由書及び抗告理由補充書(二通)記載のとおりであつて、その要旨は、少年は本件非行時僅かに一四、五歳であつていまだ子供であり、万引行為は友人に自己を誇示するためのものであり、車の窃取は、機械類に対する興味が強く、車に乗つてみたい気持が押えられなくて敢行したものである。したがつて、本件各非行は悪質なものではない。右被害の弁償についても、少年の父は炭坑労務者であり、母も働いているのであるが、収入が少なく苦しい生活であるにもかかわらず破損した車両の代わりに時価六九万一〇〇〇円の自動車及び六万三〇〇〇円の自動二輪車を月賦で買い求めて被害者らに交付し、その他の被害についても自動車の修理代を負担し又は現金で弁償してすべて被害弁償を終えている。かかる父母の態度は、少年の良心を目覚めさせ、正道に戻らせるための熱意の現われであつて、これに徴しても、少年に対する父母の保護能力は十分に期待できる状況にある。したがつて、原決定の処分は著しく不当であり、これが取消を求めるというに帰する。

よつて、所論にかんがみ本件保護事件記録及び少年調査記録のほか当審で取り調べた資料を加えて、これを検討するに、

(一)  少年は本件非行時一四歳ないし一五歳であつて、家庭裁判所に保護事件として係属したのは本件が始めてであること、

(二)  右非行のうち万引の三件は、同じ日に共犯者と共に引続いて行われたものであつて、当日被害者に発覚して逮捕され、被害も回復しており、また、原動機付自転車、自動二輪車及び自動車等の窃盗は、回数を重ねているけれども、ふだんの面白くない気持を発散させる手段として適当なことと車に対する興味、運転の技倆があつたことから、車を盗んで乗り廻しあとは元のところへ戻しておけば良いという浅はかな考えから犯かしたものであり、これら非行の動機においていまだ遊びの域を出てないものがみられ、いずれも悪質な非行とまではいえないこと、

(三)  少年の父母は、本件被害の弁償に努め、破損した車の代わりに新車を月賦で買い求めて被害者らに交付し、その他の被害についても車の修理代を負担し又は現金で弁償したりして、被害の大部分を弁償し、被害者らは少年を宥恕していること、

(四)  少年の父は炭坑労務者であり、母も左官の人夫として働いていたものであるが、収入が少なく、苦しい生活であるにも拘らず、右のとおり被害の弁償に努めたものであり、特に少年の母は昭和四八年五月一五日に約一〇年間勤めた○口○太○方の左官の人夫をやめ、家庭にあつて少年の保護、監督に努めることにするなど、少年の更生についてなみなみならぬ熱意を有していることが窺われること

等の事情が認められる。右(一)ないし(四)の事実を総合すると、少年はまだ年齢が低く、これまで保護処分を受けたことはなく、本件各非行そのものもさほど悪質なものとは認められず、被害も大部分回復し、その両親にみられる少年の更生に対する熱意等からして保護能力も期待できないものではないことが認められる。なるほど、少年は窃盗を反覆しており、非行性の昂進や無免許運転の危険など看過しがたい一面を有するけれども、その年齢、動機その他から非行性定着の度合を検討するとき、いま直ちに少年を収容保護しなければ矯正が著しく困難とは思われず、在宅のままでも専門家の指導の下に、家庭全体で厳格にして親密な保護関係を保つように努力すれば、少年の更生を期待し得るものと認められる。

そうしてみれば、これを収容保護とした原決定は、右の事由を誤認したものであつて、その処分は著しく不当というのほかなく、本件抗告は理由がある。

よつて、少年法三三条二項に従い原決定を取り消し、本件を原裁判所に差し戻すこととし、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 平田勝雅 裁判官 竹田国雄 塚田武司)

参照 昭和四八年(く)第二八号

決  定

本籍 福岡県鞍手郡○○町○○○○×、×××五番地

住居 同町○○○町×組

左官見習

少年 W・Y

昭和三三年二月一一日生

右少年に対する窃盗、同未遂、道路交通法違反保護事件について、昭和四八年八月三〇日福岡家庭裁判所飯塚支部が言渡した初等少年院送致決定に対し、少年の附添人○永○吉、法定代理人父W・N、同母W・K子から抗告の申立があったので、当裁判所は昭和四十八年一〇月二日原決定を取り消し、本件を福岡家庭裁判所飯塚支部に差し戻す旨決定した。よつて少年審判規則五一条一項に従いつぎのとおり決定する。

佐世保少年院長に対し、少年W・Yを福岡家庭裁判所飯塚支部に送致することを命ずる。

昭和四八年一〇月二日

福岡高等裁判所第一刑事部

裁判長裁判官 平田勝雅

裁判官 竹田国雄

裁判官 塚田武司

参考二

抗告申立書(昭四八・九・八付 法定代理人親権者父・母及び附添人弁護士申立)

抗告申立理由書

右の者に対する福岡家庭裁判所飯塚支部昭和四八年一九二号、同第三八二号、同第六八一号、同第九三九号少年保護事件につき為された審判に対する抗告事件の抗告理由は左の通りである。

第一重大なる事実の誤認の点

原審は云々また保護者にも同人らの少年に対する今までの応接、態度からみるとその言葉に現わす関心の割には少年に社会における基本的学習をさせる姿勢および能力に多大の疑問のあるところであると論決されている。

尤も疑問と云う詞は用いられているがこの点は明かに重大なる事実の誤認である。

抑も親としてはその子の正しかれと祈るあるは先づ絶対性と云つてよい、さるが故に本件では両親は少年の非行の続くことについては一方ならぬ血の滲むが如き苦心を過去、現在を通じてしているもので本人にはあらん限りの訓戒をして居り、その挙措には常に監視を怠つていなかつたものである。自動車窃盗中には少年の母が立正会本部団参の為め、昭和四八年七月二五日より二九日まで、旅行中の出来事である。

而して被害者に対しては親として法的には責任なきもその都度炭坑労務者の苦しい生活の中からその被害の全部を完全に弁償をして居り、断じて放任してはいないのである。特にその中には破損した自動車が使用に堪えなくなつたので、自動車の時価六九万一、〇〇〇円の新車を月払で買って戻すこととし毎月利子を併せて一万五、五〇〇円の月払金を苦しい生活の中から支出しつつあり、そしてこれに附随して費消したガソリンのチケット代として二四〇〇円又諸費用として五万〇、〇〇〇円、更に諸経費として金一〇万〇、〇〇〇円を支払つているのである。この金は如何に苦しんでの支払であるかは想像に難くない処である。これ等の弁償は偏えに如何にかして子を正道に戻らせ、そしてその罪の軽からんことを祈つての切なる所業であり、同時にその事は少年に自己の罪のため両親が如何に苦しんでいるかを身に以つて知らせ、子の良心を誘い引き出そうとする為めのものに外ならない。

又第二の処分不当の項において親が少年に対して真剣に取組んでいる事実をここに引用する。

然るに原審を叙上の如く父母の少年に対する保護の姿勢につき多大の疑問があるとせられたのは重大なる事実の誤認があると云わなくてはならないと信ずる。

第二処分につき著しき不当の点

一四、五歳の少年はまだ所謂子供そのもので好奇心と物事に引かれ易い時期で、そのことは同年の少年を持ち又は持たないものは自己の少年時代を顧みれば判ると思う。従つてこの期の少年に対する態度の如何は結局人間一生を支配するもので極めて深重を要する時期とされている。

成程原審の少年院送りの処置はその示す理由によれば輙くその非を云為するは当らないかとも思われるが、少年は証第一四号(中学における担任教師の所見)によれば学校は上の下の成績であることは兎も角として学習、行動性格、学級及クラブ活動の記載を検討すれば本来は決して悪人ではなく素直そのものの人物であり、退学後は証第一六号の如く真面目に左官の手伝いの仕事をして居つたもので、本件の如き非行を犯すことはあり得ないものの様に思われる。然し楽天的で面白い事を云つたりしたりして友人をよく笑わせるとの項は本事件の窃盗(万引)がそこから生れたものと思われる。即ち万引等の冒険を示して俺はこう云うことも出来るぞと云つて友人を面白がらせるわけである。その証拠として入用でもない額や親が必要丈け買つてやつている事は勿論なのにノート類、文房具、特に入用でもない紳士靴等を盗んでいることで判る、従つて盗んだものは殆んど発覚後持つていたので破損した部分以外は返えし、その余のものは金で親が先生と共に被害者を訪ずれ完全弁償している。次に理科が得意、技術の作業が早くて仕上りが良いとの事実は本事件の車窃盗の大なる誘因をなしているものと思う。これでは機械類等に興味を持つのは自然の勢いである。従つてオートバイ、自動車に引かれる事も当然である。その機能構造を調べたがるも、又乗つて見たくなるのも亦自然の勢いである。

而かも仮面ライダー等のテレビがこれに拍車をかけるわけであるから単車、自動車にも乗って見度くなるのは一五歳の年頃では洵に已むを得ない無理からぬことでないかと思われる。尚少年の父は単車を十年以前から持っているが父は少年には違反になるので絶対に貸さないでいたのである。

然し時とすれば密かに乗つて叱かられた事もあり時には怪我をした事さえもある。それで父は一層厳く乗車を禁じていたのである。そこで何とかして乗って見たいとの切なる思いが本件の車窃盗の動機であることは絶対に疑う余地はないのである。又証第三号の被害者○月○夫の書面によれば五〇メートルも走行しなかつたと云つている。法律的には窃盗ならむも全くこの所業より見れば車に乗つて見たい、乗つて見たいとの気持が先走つて思慮を衷い犯行に結びついたわけのものである。

現今世間では五、六歳位の子供が得々として自転車乗りをしていろが夥しく見らるる様になつた。従つて裕福でない子が車を欲しがつて指を喰えて只見ている様は親ならずとも惻隠の情にかられざるを得ないものである。本件は正しくこの事態の拡大、成長を意味する。この際まだ少年が一五歳の子供であると云う点に思いを致せば憎ましい処は一つもない。少年の犯行には充分に理解が出来る。尤もその盗んだ車を金にする気持は絶対にないので所謂使用窃盗でその方法も実害のない方法を用いているので、決して悪質の犯行ではない。要するに本件はまだ子供の一五歳の少年が前記の様な事からして車に乗り度くて堪えられないで犯したもので情状としては充分酌量の余地の存するものありと思惟する。

尚情状として盗みし車は全部被害者の手に戻つているし又破損した自動車は新車を買つたり修理して戻している。

その他の車以外盗品についても全部現物又は金にて弁償済みである。

次に陳述したいのは一五歳の少年は正に謂わば液体又は流動体で容器によつて形を変えるものである。原審判も法の趣旨に基いて正しい一人の人間を作り出そうとするもので已述の様に一概に非議すべきものではないが以上の通りの事実関係であり、更に問題は少年院に入所させることによつて自棄心を起し寧ろひむくれた人間を作り出するやも知れないのである。又、刑事裁判で共犯者との知合の動機を聞くと少年院での知合いだとの答がよく出て来ることである。深く考慮を要する点である。一五歳の少年時は善悪の別れ目の歳頃で悪にも善にも進み易いものである。若し少年院で悪友を作つたとすればそれこそ法の精神は全く没却されるに至るわけである。さすれば一面原審の処置は危険を供う処置と云つてよい。

そこで寧ろ原決定を取消しの上、これを両親の許に帰えし、両親の改めての懸命の心尽しによつて、善導するのが寧ろ安全性と希望が持てると思う。少年が帰つてくれば母は仕事にもつかず家事に専念し少年を見守り立派な人間にし度いと当然とは云え極めて熱心である。

さすれば後顧の憂なしと云い得べく又少年は本年八月三〇日以来現在まで収容されているので一五歳の少年の事故恐らくは母恋しさに泣いているだろうと両親は嘆いている。加うるに少年も現在少年院に入り、その如何なるものなるかを見聞し已に或程度の苦痛を嘗め悪事の報いが如何なるものなるかを已に充分に感得したものと思われるのでこれ以上少年院に収容するのは寧ろ策の得たるものとは云い難いと思料する。

更に考うべき事は少年院に入所することは当人の一生の庇を作るもので両親、兄弟と共に世間は狭くなるもので、前科にはならなくとも、世間では左様に思わないので少年は出所後常に暗い影を背負うて過ごすものと思われるので或は不幸にして本当の悪の道に進む虞なしとしないのである。

最後に被害は完全に弁償済につき若し本件が成年事件であるとすれば当然刑の執行猶予の恩典に浴することは明かである。

以上の次第につき原審の処分は著しく不当と思料するにつき原決定の御取消しを求める。

因みに原決定言渡後の事情をも考慮して裁判を為し得ることについての判例(判例時報は四一一号八二頁以下)

抗告理由補充書

右の者に対する福岡家庭裁判所飯塚支部昭和四八年一九二号、同第三八二号、同第六八一号、同第九三九号保護事件につき抗告の理由を補充する。

一 処分につき重大なる事実の誤認の存する理由を次の通り追加補足する。

少年の父が一介の炭坑労働者であることは一件記録上明かである。

従つて月々得るところの収入は僅少であることはここにその数額を明かにしなくとも容易に了解出来る。

然るに保護者はその少額の収入の中から全部被害を弁償して被害者の全部の宥恕を得ているのである。そのことは已に曩に申述せる如くであり、更にその中には已述の通り盗んだ自動車が破損したので新車との買替を要求され金六九万一、〇〇〇円で新車を購入し、その代金は毎月払として居り一ヶ月につき、利子を含めて一万五、五〇〇円を昭和五〇年八月まで毎月支払う事となつたのであるが、その事は証第一号証乃至第四号証の内その代金の支払に関する契約で明かであるが斯様な熱意は抑々何処から生れて来たものであるか(法的には父母には支払義務はない)の点である。その一片については已述しているがこれは一途に少年に改心を促し将来の非行を止めるため全部の被害の弁償をし又父母が如何に長い間毎月一万五、五〇〇円を苦しんで月払をせねばならなくなつているかを身を以つて知らせんがために外ならない。少年としては後、先を考えないで犯した罪が如何に父母に堪え難い苦しみを与え、又与えつつあるかを今や十二分に受止めているのである。

父母はそこを狙っての処為であるわけである。従つて少年は自から改悛の情を起しているものである。この自動的改心は決して崩るる様なものではない。

然るに原審では已述の様に少年の保護者にも少年に対する今までの応接態度から見ると云々少年に社会における基本的学習をさせる姿勢および能力に多大の疑問があるとせられたのは重大なる事実の誤認と云える即ち少年の父母が若し原審の如き考えであるならば少年の与えた被害については勿論無関心であるべく即ち成行に任せて能事終れりとして仕舞う筈である。

更に少年の在学中であつた○○○中学校の教諭○谷○資は元の○○工業高校に復校さすべく中学校長及職員一同挙げて熱心に努力されている。これも偏えに保護者の熱意に動かされ同時に少年の将来を考えてのことから出ているものであることは多言を要しない。

要するに本追加理由と共に全理由書記載の事実を綜合すれば原審の判断は重大なる事実の誤認があると云えると思う。

尚附言したいのは第九三九号の最後の記録の中に警察官の意見として保護者は健在で少年の監督に手を焼いており少年院かどこかに入れてもらわねば手に負えないと申立て、さじを投げている状態云々とあるは誤りも甚しいもので父母は左様な申立は絶対にしていないものである。若し左様な気持を父母が少しでも持っていれば叙上の様な親の行動はあり得ない筈であり而かも審判に対し費用と時間を要して抗告する筈もないわけである。最後に前理由及追加理由書中六九万一、〇〇〇円を新車代として支払うことになつていると申立たのは下取車の代金を差引くのを誤つて差引かなかつたので真実月賦で支払うべき車の損害金は全部で三七万二、九六〇円であることに補正します。

(証第十九号)

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